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【涙】85歳のおばあちゃんが何十年も続けた農業を引退した。おばあちゃんの作る野菜大好きだったけど、これからはゆっくりできるね。と私が言うと、祖母は…

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151: 名無しさん@おーぷん 2015/09/24(木)19:05:05 ID:JbH
85歳のおばあちゃんが何十年も続けた農業を引退した。
いろいろ話し合った結果、規模を小さくして母が引き継ぐことになったよ。
祖母は体のいろいろなところが少しずつ悪くなっても、
晴れの日も雨の日も畑に行っていた。
祖父とふたりで守っていた広い畑、ひとりになってからも大事に大事にしてた。
今日久しぶりに実家に帰って、本当にゆっくりとしか歩けなくなった祖母と話した。

うちの両親は結婚がお互い30を過ぎてからで、当然俺が生まれたのも遅かった。なので幼稚園や小学校の頃、父兄参観とかすごく嫌だった…

carnation_hanataba

450: 名無しさん@おーぷん 2015/07/07(火)12:46:46 ID:mKP
長久手スマノ。
うちの両親は結婚がお互い30を過ぎてからで、当然俺が生まれたのも遅かった。
母親35歳、父親40歳の時の子だ。
なので幼稚園や小学校の頃、友達の若くて綺麗でピチピチしたお母さんが心底羨ましくて
父兄参観とかすごく嫌だった。
うちの母親は気だけは若いっていうか、明朗な人だったから
何かにつけジョークを交えて話しかけて来る。
それがまた余計に神経を逆なでする。

息子が今月結婚すると嫁さん(予定)を連れてきてくれた。息子が自分の戸籍謄本を取りに行ったんだが、帰ってきた息子にいきなり「俺息子じゃないんか!」

nininsankyaku_oyako

129: 名無しさん@おーぷん 2018/08/14(火)00:53:28 ID:oHu
息子が今月結婚する
嫁さん(予定)を連れてきてくれて、息子と2人で手料理を作ってくれた
久しぶりの他人の手料理はうまいもんだ

ところで息子たちは今新幹線で5時間のところに住んでいて、婚姻届はそちらの役所に提出する
そのため今回は木曜のうちにこちらに帰省してきて、金曜に息子が自分の戸籍謄本を取りに行った
そしたら帰ってきた息子にいきなり「俺息子じゃないんか!」と言われてこちらもぽかんよ
戸籍謄本突きつけられて読んでみたら、俺の名前の横に「養父」って書いてあるのな
身分事項に思いっきり養子縁組なんて書いてあるし

【いい話】亡くなった嫁の連れ子が結婚した

花嫁

360: 名無しさん@お腹いっぱい。[] 2008/03/12(水) 10:30:53
土曜日、一人娘の結婚式だったんさ。

当時俺25歳、嫁33歳、娘13歳。
まぁ、要するに嫁の連れ子だったんだけど。
娘も大きかったから、多少ギクシャクしながらも数年過ぎた。
子供はあえてつくらなかった。
収入の問題もあったけど、娘の気持ちを考えたら、
子供は娘1人いればいいって事になった。

突然嫁が交通事故で逝った。
娘17の時。
突然2人きりになった&現実味がなくて二人して呆然。
これからどうしようと思った。
生活の面では収入も安定してたし、娘も家事の一通りは出来た。
何の問題もないはずだったけど、嫁側親戚が騒ぎ立てた。
そらそーか。
血の繋がらない29の男と17の女。
ある意味カップルでもおかしくない歳の差だもんな。
「あなたはまだ若いんだから」とか、
「再婚するにも子供がいちゃ・・・しかも自分の子供じゃないのに・・・」
とか、散々言われた。
でも、俺は間違いなく娘は俺の娘だと思ってた。
何よりも、嫁のたった一人の忘れ形見だ。
俺が育てて行く以外の選択肢は全く頭になかった。
そんな親戚の騒ぎは右から左に流した。
娘も「今更こんな足の臭いオッサンとどーにかなるかw」と笑ってた。
当たり前の様に言う娘の気持ちが嬉しかった。

やっぱり影であらぬ噂を立てられた事もあった。
三者懇談や進路面談で学校に行くと、必ず教師に変な顔をされた。
部活で遅くなった娘を迎えに行って「お宅の生徒が○○をしている」と
近隣住民から学校に通報された事もある。
それでも2人で暮らして来た。
再婚なんか考えた事もなかった。
それくらい娘には穏やかな、幸せな時間を与えてもらってた。


【泣ける】いつも爺ちゃんのことを散々に言ってた祖母が亡くなった爺ちゃんの前でデレた

fufu_roujin

628: スペースNo.な-74[sage] 2010/02/23(火) 18:59:35
うちの婆ちゃんは爺ちゃんのことを
「終戦で帰ってきた時にはガリガリで100年の恋も冷めるような有様だった」
「東京に出たかったから(爺ちゃんと)結婚した」
「私がいたから無一文からここまでになれたのよ」
とさんざんに言ってて、そこまで言うことないのに……と
私は内心爺ちゃんがかわいそうに思ってた。

去年の秋、爺ちゃんが死んだ。
寝かされてる爺ちゃんの前で婆ちゃんが一言、
「結婚するならおじいちゃんみたいな人を探しなさい。結婚して60年、ずっと幸せだった」

婆ちゃん、最後の最後にのろけたかwww爺ちゃんの前でww
と、そんな状況じゃないのに思わずなごんでしまった。

会社の超有能な人。とにかく交渉力が高くて、競合他社との協業などを上手くまとめる達人。その人と一緒に仕事した3年間は、その後の人生に深く影響している…

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970: 名無しさん@おーぷん 2018/07/29(日)13:04:43 ID:Qgo
数年前に3年ほど契約した会社にいた超有能な人に衝撃を受けた。
その人は、とにかく交渉力が高くて、競合他社との協業などを上手くまとめる達人。どんなに揉める案件でも、その人がまとめれば、スムーズにまとまる。
いつも明るく朗らかな人で、社内で不機嫌な顔をしているところを一度も見たことがない。後輩の面倒見もよく、丁寧に仕事を教えるので、部署内の雰囲気もまろやか。
派遣などで色んな会社にこんなすごい人を見たことがなかったので、打ち上げの時に話しかけて知ったこと。

「お姉ちゃんが、パパとまぁのママになるから。」  妻が他界して一年。未だに面影を探す毎日で不甲斐なさに悩まされていたんだが…

心配_男


617: なごみ[sage] 2011/05/17(火) 01:24:02.84 ID:0eeM13Rh0
559 名前:ローカルルール変更議論中@VIP+[] 投稿日:2009/06/16(火) 20:52:05.49 ID:Q3nupJSMO

もう10年も前の話
妻が他界して1年がたった頃、当時8歳の娘と3歳の息子がいた。
妻がいなくなったことをまだ理解できないでいる息子に対して、私はどう接してやればいいのか、
父親としての不甲斐なさに悩まされていた。
実際私も、妻の面影を追う毎日であった。
寂しさが家中を包み込んでいるようだった。
そんな時、私は仕事の都合で家を空けることになり、実家の母にしばらくきてもらうことになった。
出張中、何度も自宅へ電話をかけ、子供たちの声を聞いた。
2人を安心させるつもりだったが、心安らぐのは私のほうだった気がする。

そんな矢先、息子の通っている幼稚園の運動会があった。
“ママとおどろう”だったか、そんなタイトルのプログラムがあり、園児と母親が手をつなぎ、
輪になってお遊戯をするような内容だった。
こんなときにそんなプログラムを組むなんて・・・

週末里親制度で、兄と同い年の男の子がうちに里子に来ることになりました。でもその男の子の入ってる施設は、義務教育までしかいることは出来ないので、相談された両親は…

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351: 名無しさん@おーぷん 2018/06/13(水)13:00:35 ID:3pW
うちの両親は公務員してる。今も嘱託で働いてます。
父の方が福祉課に配属されてる時に、週末里親制度とかいう制度を啓蒙しなさいと言うことで、
我が家もその週末里親制度なるものに参加していました。
わたしには4つ上の兄がいてその兄と同い年の男の子がうちに里子に来ることになりました。
そして中学卒業までそれは続きました。でもその男の子の入ってる施設は、義務教育までしか
いることは出来ないので、相談された両親は、里子として高校進学を勧めました。

「○○は…私にとってはたった一人の…一人の…息子です」  いじめっ子を殴り怪我をさせてしまい呼び出された母が教師やいじめっ子にかけた言葉が。。。

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297: 苛められっこ 2006/09/03(日) 16:02:43 ID:duqD6ScY
高校二年生の頃、俺は苛められていた。誰に、と言うわけではなく、「クラス全体」からのいじめだ。
時には、クラス全員から無視され、時には、○○(俺の名前)病やー!とか言われ、俺にちょっとでも触れた奴が騒ぎ出す。
鬼ごっこならぬ○○病ごっこの始まりである。
教師も、表面上は心配していたが、裏ではめんどうな問題の一つとしてしか見ていなかったと思う。

そして最悪だったのは、弁当を鞄から取られた事だ。昼休み、俺は自分の弁当を食べようと、かばんをあさった。
しかし弁当の感触は無く、教科書の感触だけが俺の手を伝わった
無い。無い。俺の弁当が無い。
首をかしげながら、ふと回りに目をやるとこちらを見て、数人の男子が笑っている。(教師も手を焼くDQN軍団)
「おい○○!お前の弁当落ちてるぞ!」
嫌な予感がした。
俺はビクつきながらもDQN達の居る所へと歩いていく。俺の弁当は確かにそこにあった。
「見つけてやったんだからさ。1割だよな」
「5000円くらいじゃね?」
げらげらと下品な笑いを浮かべるDQNたち
ゴミ箱の中に捨てられた弁当の中身を見ながら俺は震えだした。今まで、どんな苛めも耐え抜いてきた。
しかしこの弁当は、母が作ってくれたものである。
朝から晩まで働いている母が、眠い目を擦りながら作った俺の大好きなお弁当。
俺は感じたことの無い感情に見舞われた。こういうのを切れると言うのだろうなと思いながら
俺は椅子を持ち上げていた。

【親になるということ】母「今日は孫ちゃんが妖怪ウォッチのキャラクター教えてくれたよ」 久しぶりに娘の話を聞いてみたら。。。

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769: 名無しさん@おーぷん 2017/12/28(木)10:49:31 ID:9I7
昨日、冬休みに入った子供を近距離の実家に預けていたので、仕事帰りに引き取りに行ったときのこと。

母が「今日は孫ちゃんが、クリスマスプレゼントに妖怪ウォッチを貰って、これがどんなキャラクターなのかとか教えてくれたよ」と嬉しそうに言っていた。
そこから、私が子供の頃の話になったんだけど、私も昔はポケモンにハマっていた頃は母に「これがピカチュウで、これがプリンで~」って一生懸命教えていた。
その度に「これがピカチュウだっけ?」と他のキャラを指差す度に「違う!こっち!」と怒った気がする。
母も、当時全然覚えられなかったし、今も覚えられないけれど、やっぱり孫でも子供でも喜んで説明している姿が可愛くて、覚えようって思うんだけど、この歳になるとみんな同じに見えると言われて納得した。
私も親になって、子供の好きなゲームのキャラがジバニャンしか知らないことに気づいた。
もう少し子供のことに目を向けて、耳を傾けようと思う。

家に帰って、久しぶりに娘に「妖怪ウォッチのキャラクターを教えて」と言ったら、目を輝かせてたくさん教えてくれた。
なんだか昔の自分を思い出して色々走馬灯のように駆け巡っていたら、初めてサンタが親だと気づいたときのことも思い出した。
当時、自分は親は完璧で子供のことはなんでも分かっていると思っていて、あえて意地悪ではないのだけれど、親の「サンタさんに何をお願いする?」っていう質問に答えなかった。
散々「良い子にしてないとサンタさんが来てくれないよ」と言われてきたから、なんとなく「じゃあ親は良い子にしていたら私に何をくれるんだろう」って純粋に気になった。
なんか、良い子度?というか評価が知りたくなって、あえて言わなかった。

そうすると、クリスマスの早朝に枕を見たら、あったのはジャスコの商品券。
兄の枕元のには64のゲーム機。
なんだか差をつけられたみたいで、悲しくて泣いた。

でもよくよく考えたら、兄はクリスマスプレゼントに何が欲しいか明確に出していたから親は買えたんだけど、私は言わなかったから買えなかっただけだった。
ちゃんと商品券も兄のプレゼントと同等金額だったし、今思えば悪くはないのに、その時私は「私なんかのために親はプレゼントを選んでもくれない。好きなものも分かっていてくれないんだ」って思ってたけど、親になってみれば無理な話だって分かる。

共働きで、ましてや何も欲しいものを言わない子供のプレゼント把握するなんて無理だ。
そう思うと親に申し訳ないことをしたと思って、子供の妖怪ウォッチの話を聞きながら泣いた。
自分は良い親のつもりだったのに子供の話を満足に聞いてなかったなーって気付かされて、不甲斐なくて。

今日からは宿題だけじゃなくて、子供のそういう話をちゃんと聞こうって思ったし、なんだか親の有難味を無償に感じたので、今日は母に花でも買って帰ろうと思う。

改めて子育てって難しいと思った……。
もっと頑張ろう!

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