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799: 名無しさん@おーぷん[sage] 2019/02/08(金)04:22:14 ID:8Hm
抜歯して部分入れ歯を使うようになった。それがきっかけで昔を思い出した。

私の母は恩着せがましい人だった。
浮気ばかりして同時進行に複数の愛人を持つような父と離婚しないのは、
「お前(私)の就職や結婚に差し障りがあるから、お前の為に我慢した。」といつも私に言っていた。

私が小学生の頃、母が私のブラウスにアイロンを当てていて、母は自分の額の汗を示して
「お母ちゃんはこんなに汗をかいてお前のブラウスにアイロンをかけているんだよ」と大声で私に言ったこともあった。
母はトイレを掃除したら「トイレを掃除してきた」、ゴミを集積所に持っていったら「ゴミを出してきた」等々、あらゆる家事を行ったらそれをやった事を父や私に話し、
私の母へのねぎらいの言葉や称賛が不十分だと怒った。父が不在の時には私を殴った。

そんな母のお気に入りの話の一つに「お前を産んだから私(母)の歯が悪くなった」と言うのがあった。母は歯を磨くたびに「お前を産んだから~(以下略)」と私に言った。
あまり頻繁に言うから私の方から「お母ちゃんは私を産んだから歯が悪くなったんだね」と言うようになった。
私がそう言うと母は満足げにニコニコ顔になった。

ある日、母と買い物に行った時、近所の人に会った。
その人は歯医者の帰りで母は「私も歯医者に行かなければいけないのだけど、なかなか行けなくて」とその人に話した。そこで私はすかさず
「お母ちゃんは私を産んだから歯が悪くなったんだよ」と言った。
そう言ったら母もその人もニコニコしてくれると思って言った。

しかし、その人はビックリした顔をした後、黙って母の顔をまじまじと見ていた。
母は何も言わなかった。
私はニコニコしながら母を見上げていたが、なぜ母はニコニコしてくれないのだろう?
と不思議だった。
何か良く分からない言葉をその人が低い声で母に言った後、その人と別れた。
帰り道、母は無言だった。
私は家に帰ったら母に殴られるか怒鳴られるに違いないが、何故かが分からないから「どうしよう、どうしよう」と、心の中がものすごい修羅場だった。
だが、意外にも母は私に対して何もしなかった。

そして、それ以降、母は私に「お前を産んだから~」の話をしなかった。
私も母が歯を磨いていてもその話はしなかった。
しかし、その後もそれ以外の恩着せがましい事は言い続け、称賛も求め続けていた。




800: 799[sage] 2019/02/08(金)04:23:07 ID:8Hm
後年、私は結婚して子供を産んだ。そして私も歯が悪くなった。
でも、子供に対して母のような事を言う気にならなかった。
むしろ、この子が元気に生まれ育つのだったら、私の歯でも骨でも何でも使ってくれてよいと思った。そして、母は私を産みたくなかったのだとはっきり認識した。
本当はそれは既に分かっていた事だけど、はっきり分かった時は少し悲しかった。

それから長い年月かけて私は少しづつ母に言い返したり、母を否定して自分で自分を癒してきた
絶縁はしなかったが、私は高齢の母を引き取って同居するのも「毎月、1週間程帰省して私(母)の世話をしろ」と言う母の要求も断った。
母はまだ要支援1だから自分で生活できる。
しかし、母曰く「お前の為に」母は老人ホームに入居した。

今もなお母は私に感謝と自分への称賛を求める。
「私(母)が歩いてトイレに行けることをお前は感謝すべきだ」と私によく言う。
「この年(90歳)で生きていて寝たきりではない事はスゴイ事だ」と称賛を求める。

私は母の他界を一日千秋の思いで待っている。
母が永遠に生きて私の寿命の方が先に尽きる気がする時、心の中が修羅場となる。

802: 名無しさん@おーぷん[] 2019/02/08(金)10:23:00 ID:crZ
>>799

言葉にできない苦労をなさったわね。
今のあなたご自身のお子様もずいぶん大きいでしょう。
なにかとおつかれさまでした。

思い出したくないことなのかもしれないけど、
お父様がしょっちゅう浮気にはしった詳しい理由とか、
おうちの暮らし向きとか、兄弟姉妹のこととか、
あなたがどういう人生を歩んでいらっしゃったのか、
差し支えなければ、教えてくださる?

803: 799[sage] 2019/02/08(金)13:20:01 ID:8Hm
>>802

レスをありがとうございます。

父が浮気を繰り返したのは、あのような母と一緒に過ごしたくなかったからだと思います。そして、父の浮気が母の異常な承認要求を掻き立て、それがまた、
父が家庭から遠ざかろうとする・・といった悪循環がうまれたと思います。

私は両親の事で心の中に澱のようなものが溜まって苦しくなると、おーぷん2chで吐き出させて頂いています。
皆さまのレスを読ませて頂き、やっぱりあの人たちは異常だったのだと自分に言い聞かせています。それがなければ私はとうに狂っていたと思います。
PC画面の向こうの見えない方々に感謝しています。

父は自分の人生は自分の好きに生きるという人でした。
父の事は以前書かせていただきました↓。
「次のオリンピックまで自分は生きられない」と悲しそうに言う父。私も母も白けていた。その理由→
母は公務員で共働きだから家は経済的には豊かでした。
だから、離婚しようと思えばできたのですが、799でのように「お前(私)の為に我慢」し定年退職しました。
私には腹違いの兄がいましたが、兄は母と折り合いが悪く高校を卒業後、家を出ていきました。幼い頃は兄とは仲が良かったですが、私の結婚式で母が兄に出席しても目立つなと言ったらしく、それ以降は疎遠になりました。
私がその事実を知ったのは何年も後で取り返しがつかないまま、年月が経ちました。

私はお見合いで結婚し、子供を産んでから両親に疑問を持つようになりました。
学生時代、母は私が恋愛をするのを全力で阻止しようとしたのですが、
私が26歳を過ぎると突然、
「なぜお前は誰とも結婚できないのだ」「お前は女らしくないからだ」と怒り出しました。
両親の様子を見ていた私は全く結婚する気はなかったのですが、父と母に毎日毎日、
責めたてられお見合いをしました。
しかし、結婚する気がない私がお見合いをしたとて、お相手もそんな私を見てお断りされることが続きました。
両親は私がお相手に断れらたら激怒し「こんな良い人を捕まえられないお前がおかしいからだ」と怒っていました。

ある時、紹介してくれた人の事を両親が気に入りませんでした。
どこか気に入らなかったのか良く分からないけれど「こんな人を紹介するなんて」と仲人さんの陰口を言っていました。
しかし、その人が私は一番良いと思って結婚しました。
今でも母は夫の事を気に入りません。夫とは穏やかな日々を過ごさせて頂いています。
「母が居なくても私は困らない。居ないほうが心が安らかだ。だから私は極力、母も父も氏んだと思って暮らそう」と日々過ごしています。
が、時折、母が永遠に生きるような気がするのです。

長文を書き、申し訳ありませんでした。そして、ありがとうございました。
804: 名無しさん@おーぷん[sage] 2019/02/08(金)16:54:01 ID:aMJ
ありがとうって母に感謝を伝えたり、
トイレ掃除やゴミ捨てなど小学生でもできることは手伝ってたのかな
母に言われてではなく自発的に

805: 799[] 2019/02/08(金)17:19:00 ID:WPV
>>804

おっしゃる通りです。この「自発的に」が私の幼い日々の命運を握っていました
母に言われる前に私から手伝い、母の労を労わないと母は怒り狂いました。
仕事から帰って来た母に毎日「お仕事お疲れ様」的な事を一生懸命言わないと
母が帰宅するまでに私がやっておかなけければならない家事の出来具合を叱責されました。
進学やクラブ活動を選ぶのも、母の望む事を母より先に「自発的に」言わないと
何時間も「お前は何も分かっていない」と叱責されました。
804さんが母の事をよく分かっておいでなので、ちょっと驚いています。

806: 名無しさん@おーぷん[sage] 2019/02/09(土)01:05:41 ID:XZS
うちの母も入れ歯で私を産んだせいでってよく言ってたな
子供心になんでそんなこというんだろって思ってた
799さんとこみたいな毒親ではなかったけど恩着せがましいところはあるから気持ちはわかる

821: 799[] 2019/02/09(土)16:49:36 ID:aYv
母にとって私は母自身の存在証明だったと思います。
一生懸命、娘に尽くした母として生きたという証明だったと。
だから、私が徹底的に不幸だと自分の力不足となってしまうが、
私が完璧に幸福だと自分より良い人生をおくったことになり許せない、
だから、母の自尊心を満足させる程度の人生を送らせたかったと思います。

夫に巡り会えたのは母のおかげです。
夫に対する母の評価は毀誉褒貶が入り雑じっています。
「お前が結婚して幸せになれたのは私が仲人さんを知っていたからだ」
「お前があんな理屈ぽい人と結婚したから、お前まで理屈っぽくなって私に言い返すように
なってしまった。結婚するまで優しい優しい子だったのに。」
母の心は自分自身でも把握できないのでしょう。
何度も私はそれこそ自発的に母に対して「夫と結婚できた」事への感謝を言いました。
そして母も事有る毎に「お前は一人娘で親元にいるべきなのに、結婚させてやった」と
感謝を求めます。母の承認要求は底が無いのです。

そんなになるまで否定され続け(たであろう)承認要求の塊になってしまった母の人生も、
「好きな事を一生懸命しないとダメだ」と自分で自分を駆り立てるように
滅茶苦茶をしなければならなかった父の人生も気の毒だったと思います。

兄との関係修復も含め、私も一生懸命、自分の人生を生きようと思います。
ありがとうございました。

引用元: ・今までにあった修羅場を語れ【その26】






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